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もんもん趣味レーション!

そもそも、結局、運命なんて、そんなもの

来月の上旬に引っ越すことにした。川崎に住んで7年半、気がつけば人生の4分の1を同じ街で過ごしていた。18歳半で上京して、もうそんなに経つのか、という思いがありつつ、案外長く住んだなと驚いている自分がいる。もう川崎での生活もあと僅かとなり、日々の出勤や帰り道がなんだか愛おしく感じる。駅のそばの金木犀の香りを堪能できずに去りそうだ、とか、毎年春に必ず見ていた近所の公園に咲き誇る桜をもう見られない、とか、あ、やっぱり寂しいんだな、ともう1人の自分が気づくしゅんかんがある。思い出が詰まった街を離れるのは、地元を離れる時とはまた違った淋しさが募るものだ。

 

引っ越すのと同時に、しばらく(一生?)「一人暮らし」というものから離れることにもなる。親と暮らすのにも、1人で暮らすのにも、誰かと暮らすのにも、耐えねばならないことがある。まして、赤の他人に近い人間と毎日顔を合わせるのだから、普通の、同年代の女性ならばただただ楽しみだろうが、こちらはどちらかと言えば孤独を愛する人間だ。1人でテレビを見ながら、ちびまる子ちゃんの野口さんみたいな笑い方をしたら奇異な目で見られることは間違いない。テレビ見ながら「いいなー」とか、独り言を呟けない。日に日に気持ちが暗くなってきている。これは良くない。同棲ブルーだ。

(※ちなみに笑い方が野口さんみたい、と言ってきたのは高校時代の塾の先生で、当時はお笑い好きかつショートボブだったことからも「野口さん」だの「きのこ」だのいじられていた)

 

「そもそも、なんで同棲することにしたっけ」

9月に相手が私の両親に会うため、甲府に向かう電車で私に聞かれた。

「さあ、なんでだろう」

さあ、なんでだろう。これが正直な「同棲する理由」だ。「もー彼ピッピが大好きすぎて、毎日一緒にいたいんだもん(ハートマーク多め)」てわけでもなく、「丁度家の更新のタイミングが近かった」といえば、合理的だし間違ってもない。ただし、これだけで住もうと思わなかったし、両親への挨拶も決めなかった。「好きだから一緒にいたい」と、書いてて恥ずかしくはなるが、これも間違ってはない。けれども、決め手はこれじゃなかった。

お互いに、なんかよくわからないけれど、一緒に住もう、となった。

私の家族は、こんなことを言うと不思議な家族と思われても仕方が無いが、できちゃった結婚している人間が多い。入籍→結婚式→妊娠出産、と「普通のステップ」が何故か踏めなかった人間しかいないようで、はっきりいって家族の結婚話がまともに参考事例として活用できない。どうなってるんだ、私の家族。

「まあ、こういう家だから、せめてあなただけはきちんと順番は守りなさい」

俺は結婚しないぞと言いながらしれっとデキ婚した兄からの助言の一つである。経験者が言うのだから間違ってはいないのだろうが、それにしても重い。

 

とりあえず、同棲する。

もしかしたら、結婚する。

だめだったら、引っ越す。

文字に起こすと簡単そうだと考えていたが、いざとなると一つ一つの決断に重みが増して見える。でも、このくらい簡単な言葉で書ける方が良いのかもしれない。結局、人生なんて、運命なんて、ころっとかわる、そんなものなんだから。

 

ところで、私なんで同棲するのかしら?

旅先で思ったこと

ここ最近、故郷を含め、様々な土地に足を運んでいます。帰省、出張、旅行と、目的はそれぞれ違いますが、学生時代足を運んだことのないところや、働き始めたいまになっても旅行先に選ばないであろう所にも行くことが出来ています。

そんななか、思ったことがふたつほど。


〇どこもそれなりに「店」はある

よく、わざわざ東京にきて服を買って帰る人がいるが、私と同世代の人、20代前半の人が多く買いに行くブランドショップは市街地に大体揃ってる、と思いました。某オレンジ色のセレクトショップもあるし、どの県にも高級ブランドを扱う百貨店(名の知れているかどうかはさておき)が存在するため、有名なところのバックや財布を持とうとするのは簡単ではないでしょうか。

さすがに、ネットでふと見つけたコアなブランドとなると話は別ですが。でも、西日本ならば名古屋・大阪・福岡のどれかにも必ず店舗があるはずなので、だからこそ、服飾関連で故郷を蔑むようなことをいう必要は無いのでは、と感じます。


〇旅行ガイドにない店を

  今の時代、ネットが繋がる限り、安くて美味しいご飯やさんはいくらでも見つけることができるので、観光客を狙い単価を上げた飲食店に拘泥する必要がないように考えます。見つけられるかどうかは別問題ではあるけれど、次第に本当に美味しい店が見えるようになるのでは、というよりも、なってほしいと願っています。


これからも旅行を続けて、とりあえず、自分の故郷と同じくBEAMSのない街を探していきたいです。

思い出が無くなること

地元の、かれこれ20年近く通った洋服店が突然閉店した、と聞いたのは、今年の初春だった。


地元・甲府の、オフィス街から少し離れたところにある、小さなセレクトショップだった。母が私が生まれる前にたまたま見つけたのがそもそもの始まりで、私の家とそのお店の繋がりは、25年以上になるらしい。

生まれた時の服やら、お弁当箱やら、いろんなものをその店で買った。欲しい物を見つけては、母と嬉しくなって楽しくなって、買っていた。私がかねてより愛する「ヒステリックミニ」との出会いも、そこでの出会いがきっかけである。山梨で取り扱っている店は唯一そこだけで、東京にある専門店を見るよりもひとつひとつが魅力的に見えたからか、上京するまで、ちょくちょく通っていたものだ。


そのお店は、マスターのおじさんが1人で経営する、小さなお店であった。結婚もされておらず、おじさん(といつも呼んでいた)が毎日1人で店頭に立ち続けていた。赤ん坊の頃から通っていたからか、中学生になったあたりから、行くたびに「大きくなったね」と言われたな、と思う。毎度毎度、服から、ある程度成長してからは、実用的で使いやすいものをと雑貨を選んでみせてくれたり、「こんどこんなの入るよ」と楽しそうに言ってくれたことが、今でも嬉しく思い出される。


そんな店が、思い出の場所が、突然姿を消した。店舗にはシャッターが閉められ、張り紙はなく、電話番号がつながらない。

驚いた。声も出なかった。

母が考えるに、「マスターが倒れたのではないか」という。それなりに準備をして店じまいをするのなら、何かしらの知らせをするはずであるから、急な何かがあったのではないか、と。

ふと思い立ち、ある日の晩に、私も試しに店に電話してみた。やはり、つながらなかった。また驚いた。声も出なかった。少しだけ目が潤むのがわかった。


思い出の場所が無くなるのは、悲しく、身に応えるものがある。寂しい。

失って強くなる、ということを言う人もいるけれど、(存在自体を)失って(心の中の一部も)なくすことも、ある。

あるんだ、と思った。ここまで苦しく思うのは、初めてだった。きっとこの先同じようなことがたくさん続くようにも感じた。

なんだか、耐えられる気がしない。






という訳で、もし甲府にあった「チムチムチェリー」というお店をご存知、もしくはなにか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。

あの「まち」はアイソスタシー

 諸般の都合により、空き時間を使ってある都市の「まちあるき」をしていました。仕事や習い事の都合でよく足を運んでいたところではあったのですが、それ以外の場所に赴くことはなかったので、これを機会に、いままで行かなかった地区をピックアップしてめぐることにしました。

 普段下車する場所は、海沿いの、それはそれは絵に描いたような「都会」です。私みたいな田舎者にとっては、なんでもあるまち。今回は、同じ名前のまちでも、住宅街や農地が広がったエリア、老若n、いや高齢の方がよく歩く商店街と、「そのまちといえばこれ!」といわれるところを外して歩きました。写真だけみせたら、違うまちの名前が浮かびそうな、そんなところばかりです。何日もかけて、普段乗らないような路線を(食費を削って)利用し続けました。(もう、ねぎしのレジで半べそをかきながら渡した千円札の厚みはしばらく忘れられません)

 まちあるきの感想としては、「どこのまちも、抱えている問題は大して変わらない」ということに尽きます。「このまちといえばこれ!」という観光者に近しい目線を捨てて見つめると、高齢化や道路舗装の問題、ここに書ききれないほどの問題を抱えている、そしてそのことが華やかなイメージによって隠されている、そんな気がしました。ああ、私の知っているあのまちは、一部に過ぎなかったんだ、氷山の一角だったんだ、と身に沁みて感じました。かといって、すべて知るからこそ愛する資格があるだの、海沿いの美しい街を知るだけではにわかだ消えろ、なんてことは思いません。まちの愛し方は千差万別ですし、それ自体に規定の枠組など存在しないので、各自の好きな愛し方を貫ければ良いのではないでしょうか。私自身は今回の経験で、深くまちに触れることができ、新しい一面に気がつけたので、御の字かなと思っています。

 つらつらと書きましたが、是非遊びにいらしてください。諸事情でまちの名前は出せませんが、言ってみてほしいものです。

 

 

 

 

さよならはもうすぐですよ、学生さん

大学4年の秋学期となると、もうほぼほぼ単位を取り切ってしまい、残された卒業論文を仕上げれば4年間のモラトリアムに終止符を打つことになる(教授が論文に「否」をつきつけられたら延長できるが)6歳から開始した義務教育から始まり16年、飽きっぽい私でも一応は「学生」、続けられた。ドロップアウトしなくて本当によかった、と今では思う。たまたま大学の年間予定を見たところ、私の授業の最終日は15日ー今週の金曜日ーであるのがわかった。大学、はたまた学生生活の集大成となる「授業」、研究会だった。ああ、もう授業を受けることができなくなるのかな、といかばかりセンチメンタルになる。15,6年前「足し算」から始まった「授業」が、数多の日々を重ね「パソコンをつかった統計ソフトによる計算結果をまとめるための文章作成」で幕を下ろす。いつ、どんな瞬間でも、こうなることは予想していなかった。

と、角ばったことを書いているが、内心は「あー、終わっちゃうんだな」としか思ってない。素直に言えば、終わってしまう実感がない。高校時代の世界史の授業で味わった「これで1通り歴史見終わりました―やったー」というような達成感がないからだろうか。中学時代にあまりにも相性の合わない更年期まっただ中の女教師から解放された喜びがないからだろうか。これほどあっさりと終わってしまうのは、終わる実感はないけれどそこはかとなく悲しみがこみあげる。手が荒れるなと思いながら白チョークを持ち、黒板に数式を書いた瞬間が、遠く、遠くに消えてしまうのかな、と寂しくなる。

そういえば、最後にチョークに触れたのはいつだろう。わけわからない漢文が載っていた古典の教科書をかばんにしまったのは何時が最後だったんだろう。無理やり買わされていやいや使っていた英単語帳、実家のどこに置いてあったっけ。中学の地理で毎週配られていた予習プリント、物置にしまったはずなんだけど。

小学校に入った2000年4月4日から積み上げていったものは、一体どのくらいの高さになったのだろう。大気圏超えるかな。ノートとかメモとか、並べていったら地球1周できるかな。

しかし、積み上げたものたちは、果たしてスティーブ・ジョブズのいう「点と線」に変貌を遂げるのか。大学、高校、中学受験のような直近のイベントではつながったけれど、これらが社会に出てから、再び「点」となり、「線」となることは考えられるのだろうか。正直、わからない。まだわかるわけがないが、この16年間はこれからの40数年でどんなものに変わってしまうのだろうか。わかるわけない、体験したことがないのだから。

 

Cをあわせる

幸せってなんだろう、とたまに口にしてしまう。幸せってなんだろう。

幸せってなんだろう。

大学生活最後の年になり、青春も佳境を迎え、未来へまた一歩踏み出すときがきた。どのみちにしよう、どこを妥協し、どこを譲らないのか。思い残しをなくすために遠くに行こう、もっと自分の夢を追いかけたい、もう一度やり直してみよう。自分の求める幸せってなんだろう、とふと、考える。自分の求める歩んできた道、自分自身に問いかけてみる。
求める幸せは、結婚か、地位名誉か、漠然と楽しくいきることか。周囲で結婚の話題が出るたび、なにも考えてなかった自分に気づかされ、ほんの少しの無関心と不安が頭をうずまいていく。どんなカードを残し、名残惜しさをころして捨て札とするか。

幸せって、なんだろう。

昨今、5060代の人々の訃報が大九取り立たされている。急になくなる、病を隠し最後までしょくむを全うする。
幼い頃から両親と近い年齢の人間がなくなるのには人一倍過剰に反応してしまう。そのニュースをみるたびに親に連絡をとるようになった。
母方の祖父も80代に入った。会うたび会うたび、これが最後になりませんように、と願いながら祖父の手を握る。あのしわくちゃな手が好きだ。実家から離れてはいるが、近所付き合いが盛んであり、人と人とのつながりが残っているため、もしものときに助けが求められる状況にあるのに安心している。

幸せって、なんだろう。

再び進路をどうするのか決めるときが訪れた。いま、夢を追いたい気持ちと、戻らねばならないのではという見え隠れする現実にさいなまれている。わたしは私で生きるべきなのに、生きられないように感じるのはなんでだろう。

幸せって、なんですか

徒然ーずん

進路を変えて2ヶ月が経ち日々バイト予備校大学卒論をぐるぐるかき回す日々。半年前の自分はこうなることなぞ予想しなかったものです。あえて省いた夢に向かうというわけですが実は大学入学当初の夢であったのである種の原点回帰というのでしょうか。そこらへんは国語できないので断言できないのですが。悲。でもなんだか就職活動中よりも人間らしく私というものを謳歌していると感じています。まるで同じ言葉しか出ないようなロボットのような日々は地獄そのものでした。考えているのに考えていないように感じて悶々とする日々でした。良い世界を見れたというのは誇りとして教訓としてもっておきたいとは考えています。経験しないよりはマシかなっておもってるし。でもあそこまで見を捧げんそしなければよかった、力を抜けばよかったな、とは今でも感じています。終盤なんて顔がこわばっていただろうし、そりゃ誰だって撮りたくないでしょう。

世の中を生きていくためには「カードを捨てる」という選択をしなければなりません、重大な決断か否か関わらず。全国!彼氏!恋!夢!趣味!家族!内容!報酬!休暇!とかとか。どれを諦め、どれを守りぬくのか…。まるで新居のアパート探しのようだ、と思います。駅チカ?間取り?バストイレ別?オートロック?…

あのときはいろいろなかーどを持とうとしていた、端から気持がないのにもかかわらず。馬鹿だなあ、最初から国を動かしたいならそうすればよかったのにねええ