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旅先で思ったこと

ここ最近、故郷を含め、様々な土地に足を運んでいます。帰省、出張、旅行と、目的はそれぞれ違いますが、学生時代足を運んだことのないところや、働き始めたいまになっても旅行先に選ばないであろう所にも行くことが出来ています。

そんななか、思ったことがふたつほど。


〇どこもそれなりに「店」はある

よく、わざわざ東京にきて服を買って帰る人がいるが、私と同世代の人、20代前半の人が多く買いに行くブランドショップは市街地に大体揃ってる、と思いました。某オレンジ色のセレクトショップもあるし、どの県にも高級ブランドを扱う百貨店(名の知れているかどうかはさておき)が存在するため、有名なところのバックや財布を持とうとするのは簡単ではないでしょうか。

さすがに、ネットでふと見つけたコアなブランドとなると話は別ですが。でも、西日本ならば名古屋・大阪・福岡のどれかにも必ず店舗があるはずなので、だからこそ、服飾関連で故郷を蔑むようなことをいう必要は無いのでは、と感じます。


〇旅行ガイドにない店を

  今の時代、ネットが繋がる限り、安くて美味しいご飯やさんはいくらでも見つけることができるので、観光客を狙い単価を上げた飲食店に拘泥する必要がないように考えます。見つけられるかどうかは別問題ではあるけれど、次第に本当に美味しい店が見えるようになるのでは、というよりも、なってほしいと願っています。


これからも旅行を続けて、とりあえず、自分の故郷と同じくBEAMSのない街を探していきたいです。

思い出が無くなること

地元の、かれこれ20年近く通った洋服店が突然閉店した、と聞いたのは、今年の初春だった。


地元・甲府の、オフィス街から少し離れたところにある、小さなセレクトショップだった。母が私が生まれる前にたまたま見つけたのがそもそもの始まりで、私の家とそのお店の繋がりは、25年以上になるらしい。

生まれた時の服やら、お弁当箱やら、いろんなものをその店で買った。欲しい物を見つけては、母と嬉しくなって楽しくなって、買っていた。私がかねてより愛する「ヒステリックミニ」との出会いも、そこでの出会いがきっかけである。山梨で取り扱っている店は唯一そこだけで、東京にある専門店を見るよりもひとつひとつが魅力的に見えたからか、上京するまで、ちょくちょく通っていたものだ。


そのお店は、マスターのおじさんが1人で経営する、小さなお店であった。結婚もされておらず、おじさん(といつも呼んでいた)が毎日1人で店頭に立ち続けていた。赤ん坊の頃から通っていたからか、中学生になったあたりから、行くたびに「大きくなったね」と言われたな、と思う。毎度毎度、服から、ある程度成長してからは、実用的で使いやすいものをと雑貨を選んでみせてくれたり、「こんどこんなの入るよ」と楽しそうに言ってくれたことが、今でも嬉しく思い出される。


そんな店が、思い出の場所が、突然姿を消した。店舗にはシャッターが閉められ、張り紙はなく、電話番号がつながらない。

驚いた。声も出なかった。

母が考えるに、「マスターが倒れたのではないか」という。それなりに準備をして店じまいをするのなら、何かしらの知らせをするはずであるから、急な何かがあったのではないか、と。

ふと思い立ち、ある日の晩に、私も試しに店に電話してみた。やはり、つながらなかった。また驚いた。声も出なかった。少しだけ目が潤むのがわかった。


思い出の場所が無くなるのは、悲しく、身に応えるものがある。寂しい。

失って強くなる、ということを言う人もいるけれど、(存在自体を)失って(心の中の一部も)なくすことも、ある。

あるんだ、と思った。ここまで苦しく思うのは、初めてだった。きっとこの先同じようなことがたくさん続くようにも感じた。

なんだか、耐えられる気がしない。






という訳で、もし甲府にあった「チムチムチェリー」というお店をご存知、もしくはなにか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。

あの「まち」はアイソスタシー

 諸般の都合により、空き時間を使ってある都市の「まちあるき」をしていました。仕事や習い事の都合でよく足を運んでいたところではあったのですが、それ以外の場所に赴くことはなかったので、これを機会に、いままで行かなかった地区をピックアップしてめぐることにしました。

 普段下車する場所は、海沿いの、それはそれは絵に描いたような「都会」です。私みたいな田舎者にとっては、なんでもあるまち。今回は、同じ名前のまちでも、住宅街や農地が広がったエリア、老若n、いや高齢の方がよく歩く商店街と、「そのまちといえばこれ!」といわれるところを外して歩きました。写真だけみせたら、違うまちの名前が浮かびそうな、そんなところばかりです。何日もかけて、普段乗らないような路線を(食費を削って)利用し続けました。(もう、ねぎしのレジで半べそをかきながら渡した千円札の厚みはしばらく忘れられません)

 まちあるきの感想としては、「どこのまちも、抱えている問題は大して変わらない」ということに尽きます。「このまちといえばこれ!」という観光者に近しい目線を捨てて見つめると、高齢化や道路舗装の問題、ここに書ききれないほどの問題を抱えている、そしてそのことが華やかなイメージによって隠されている、そんな気がしました。ああ、私の知っているあのまちは、一部に過ぎなかったんだ、氷山の一角だったんだ、と身に沁みて感じました。かといって、すべて知るからこそ愛する資格があるだの、海沿いの美しい街を知るだけではにわかだ消えろ、なんてことは思いません。まちの愛し方は千差万別ですし、それ自体に規定の枠組など存在しないので、各自の好きな愛し方を貫ければ良いのではないでしょうか。私自身は今回の経験で、深くまちに触れることができ、新しい一面に気がつけたので、御の字かなと思っています。

 つらつらと書きましたが、是非遊びにいらしてください。諸事情でまちの名前は出せませんが、言ってみてほしいものです。

 

 

 

 

さよならはもうすぐですよ、学生さん

大学4年の秋学期となると、もうほぼほぼ単位を取り切ってしまい、残された卒業論文を仕上げれば4年間のモラトリアムに終止符を打つことになる(教授が論文に「否」をつきつけられたら延長できるが)6歳から開始した義務教育から始まり16年、飽きっぽい私でも一応は「学生」、続けられた。ドロップアウトしなくて本当によかった、と今では思う。たまたま大学の年間予定を見たところ、私の授業の最終日は15日ー今週の金曜日ーであるのがわかった。大学、はたまた学生生活の集大成となる「授業」、研究会だった。ああ、もう授業を受けることができなくなるのかな、といかばかりセンチメンタルになる。15,6年前「足し算」から始まった「授業」が、数多の日々を重ね「パソコンをつかった統計ソフトによる計算結果をまとめるための文章作成」で幕を下ろす。いつ、どんな瞬間でも、こうなることは予想していなかった。

と、角ばったことを書いているが、内心は「あー、終わっちゃうんだな」としか思ってない。素直に言えば、終わってしまう実感がない。高校時代の世界史の授業で味わった「これで1通り歴史見終わりました―やったー」というような達成感がないからだろうか。中学時代にあまりにも相性の合わない更年期まっただ中の女教師から解放された喜びがないからだろうか。これほどあっさりと終わってしまうのは、終わる実感はないけれどそこはかとなく悲しみがこみあげる。手が荒れるなと思いながら白チョークを持ち、黒板に数式を書いた瞬間が、遠く、遠くに消えてしまうのかな、と寂しくなる。

そういえば、最後にチョークに触れたのはいつだろう。わけわからない漢文が載っていた古典の教科書をかばんにしまったのは何時が最後だったんだろう。無理やり買わされていやいや使っていた英単語帳、実家のどこに置いてあったっけ。中学の地理で毎週配られていた予習プリント、物置にしまったはずなんだけど。

小学校に入った2000年4月4日から積み上げていったものは、一体どのくらいの高さになったのだろう。大気圏超えるかな。ノートとかメモとか、並べていったら地球1周できるかな。

しかし、積み上げたものたちは、果たしてスティーブ・ジョブズのいう「点と線」に変貌を遂げるのか。大学、高校、中学受験のような直近のイベントではつながったけれど、これらが社会に出てから、再び「点」となり、「線」となることは考えられるのだろうか。正直、わからない。まだわかるわけがないが、この16年間はこれからの40数年でどんなものに変わってしまうのだろうか。わかるわけない、体験したことがないのだから。

 

Cをあわせる

幸せってなんだろう、とたまに口にしてしまう。幸せってなんだろう。

幸せってなんだろう。

大学生活最後の年になり、青春も佳境を迎え、未来へまた一歩踏み出すときがきた。どのみちにしよう、どこを妥協し、どこを譲らないのか。思い残しをなくすために遠くに行こう、もっと自分の夢を追いかけたい、もう一度やり直してみよう。自分の求める幸せってなんだろう、とふと、考える。自分の求める歩んできた道、自分自身に問いかけてみる。
求める幸せは、結婚か、地位名誉か、漠然と楽しくいきることか。周囲で結婚の話題が出るたび、なにも考えてなかった自分に気づかされ、ほんの少しの無関心と不安が頭をうずまいていく。どんなカードを残し、名残惜しさをころして捨て札とするか。

幸せって、なんだろう。

昨今、5060代の人々の訃報が大九取り立たされている。急になくなる、病を隠し最後までしょくむを全うする。
幼い頃から両親と近い年齢の人間がなくなるのには人一倍過剰に反応してしまう。そのニュースをみるたびに親に連絡をとるようになった。
母方の祖父も80代に入った。会うたび会うたび、これが最後になりませんように、と願いながら祖父の手を握る。あのしわくちゃな手が好きだ。実家から離れてはいるが、近所付き合いが盛んであり、人と人とのつながりが残っているため、もしものときに助けが求められる状況にあるのに安心している。

幸せって、なんだろう。

再び進路をどうするのか決めるときが訪れた。いま、夢を追いたい気持ちと、戻らねばならないのではという見え隠れする現実にさいなまれている。わたしは私で生きるべきなのに、生きられないように感じるのはなんでだろう。

幸せって、なんですか

徒然ーずん

進路を変えて2ヶ月が経ち日々バイト予備校大学卒論をぐるぐるかき回す日々。半年前の自分はこうなることなぞ予想しなかったものです。あえて省いた夢に向かうというわけですが実は大学入学当初の夢であったのである種の原点回帰というのでしょうか。そこらへんは国語できないので断言できないのですが。悲。でもなんだか就職活動中よりも人間らしく私というものを謳歌していると感じています。まるで同じ言葉しか出ないようなロボットのような日々は地獄そのものでした。考えているのに考えていないように感じて悶々とする日々でした。良い世界を見れたというのは誇りとして教訓としてもっておきたいとは考えています。経験しないよりはマシかなっておもってるし。でもあそこまで見を捧げんそしなければよかった、力を抜けばよかったな、とは今でも感じています。終盤なんて顔がこわばっていただろうし、そりゃ誰だって撮りたくないでしょう。

世の中を生きていくためには「カードを捨てる」という選択をしなければなりません、重大な決断か否か関わらず。全国!彼氏!恋!夢!趣味!家族!内容!報酬!休暇!とかとか。どれを諦め、どれを守りぬくのか…。まるで新居のアパート探しのようだ、と思います。駅チカ?間取り?バストイレ別?オートロック?…

あのときはいろいろなかーどを持とうとしていた、端から気持がないのにもかかわらず。馬鹿だなあ、最初から国を動かしたいならそうすればよかったのにねええ

中学生のわたしに贈る言葉

中学生の自分へ
 
元気ですか。いや、あなたは絶対に元気です。覚えています。多分あなたは中学3年生、鬱々とした気持で向かったカナダでの短期留学を終え、自分に自信がついたことだと思います。22歳の私が今までの人生を振り返っても、トップ5に入る「強い子」ですよ。たまにあなたのその強かさが羨ましいと感じます。あの頃の出会いは、とてつもなく大きくて、それでいて切ないものです。なかなか向こうの彼らとは連絡が取れない状況になってしまったからです。一期一会を強く感じさせられます。今でも、別れはつらい。
 
幸せですか。今の私から言わせれば、幸せでしょう。たぶん、エスカレーターで高校へ進む、楽な道を廃し茨の道へ進もうとしている頃でしょう。ほんのちょっと、不安が募り始めていることでしょう。でも、なんとかなります。なんだかんだ、受かります。今までで一番「努力せず手に入れた」合格です、それはそれは。
それでも不安は取り除けないことでしょう。今の友達と別れてしまう(人生で一番楽しいクラスだったのは言うまでもない)、新しい学校では冷たい目、白い目で見られることへの恐怖、と、たくさんの不安がうずまいていることでしょう。実際、なんとかなりました。過去の経歴なんてだんだんそれによって縛られることはなくなるんだから。過去を持ちだす奴は皆つまらないカス野郎です。それだけは覚えておきましょう。センター試験の結果とかで未だに大口を叩く奴は落ちぶれるだけです。それだけです。
 
あなたはこの3年間、大変頑張りました。
周りも頑張っているから報われない、と思ったこともあったでしょう。でもあなたは、頑張った。
そして、今の私の基盤をつくってくれました。あなたは今の私です。アイデンティティって、これか、そう、これです、と未来の私に気が付かせてくれた、それがあなたです。ありがとう。頑張ってくれて。
 
これからも、がんばろうね。よろしく、頼んだよ。
 
一ついうのならば、もう少し外の世界を知るべきでした。帰り道一緒の男の子、とか。
あなたのせいで。まだちょっと男性恐怖症が治っていませんよ。