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もんもん趣味レーション!

さよならはもうすぐですよ、学生さん

大学4年の秋学期となると、もうほぼほぼ単位を取り切ってしまい、残された卒業論文を仕上げれば4年間のモラトリアムに終止符を打つことになる(教授が論文に「否」をつきつけられたら延長できるが)6歳から開始した義務教育から始まり16年、飽きっぽい私でも一応は「学生」、続けられた。ドロップアウトしなくて本当によかった、と今では思う。たまたま大学の年間予定を見たところ、私の授業の最終日は15日ー今週の金曜日ーであるのがわかった。大学、はたまた学生生活の集大成となる「授業」、研究会だった。ああ、もう授業を受けることができなくなるのかな、といかばかりセンチメンタルになる。15,6年前「足し算」から始まった「授業」が、数多の日々を重ね「パソコンをつかった統計ソフトによる計算結果をまとめるための文章作成」で幕を下ろす。いつ、どんな瞬間でも、こうなることは予想していなかった。

と、角ばったことを書いているが、内心は「あー、終わっちゃうんだな」としか思ってない。素直に言えば、終わってしまう実感がない。高校時代の世界史の授業で味わった「これで1通り歴史見終わりました―やったー」というような達成感がないからだろうか。中学時代にあまりにも相性の合わない更年期まっただ中の女教師から解放された喜びがないからだろうか。これほどあっさりと終わってしまうのは、終わる実感はないけれどそこはかとなく悲しみがこみあげる。手が荒れるなと思いながら白チョークを持ち、黒板に数式を書いた瞬間が、遠く、遠くに消えてしまうのかな、と寂しくなる。

そういえば、最後にチョークに触れたのはいつだろう。わけわからない漢文が載っていた古典の教科書をかばんにしまったのは何時が最後だったんだろう。無理やり買わされていやいや使っていた英単語帳、実家のどこに置いてあったっけ。中学の地理で毎週配られていた予習プリント、物置にしまったはずなんだけど。

小学校に入った2000年4月4日から積み上げていったものは、一体どのくらいの高さになったのだろう。大気圏超えるかな。ノートとかメモとか、並べていったら地球1周できるかな。

しかし、積み上げたものたちは、果たしてスティーブ・ジョブズのいう「点と線」に変貌を遂げるのか。大学、高校、中学受験のような直近のイベントではつながったけれど、これらが社会に出てから、再び「点」となり、「線」となることは考えられるのだろうか。正直、わからない。まだわかるわけがないが、この16年間はこれからの40数年でどんなものに変わってしまうのだろうか。わかるわけない、体験したことがないのだから。