Marvelous!

もんもん趣味レーション!

億劫ですよ

昔から2,3年に一度、ほんの3日くらい不登校になるときがある。

中学、高校それぞれで一回ずつある。

中学の頃は、中高一貫校のエスカレーターをドロップアウトするときの他校受験で自分を思いつめすぎたから。別に人間関係で悩んだ経験はない。中学時代の同級生といるときは、今でも楽しい。最も自分でいられる。

高校時代の不登校は、原因を忘れてしまったが、センター試験のことだったろう。指定校推薦で大学進学は決定していたが、周りの「圧」に徐々に揉まれ、大した目標もなくセンター試験の対策をするのが苦痛だった(完全に甘え)。ハイレベルな大学に進んでしまうことへの不安も、もうすぐ高校生活が終わってしまう不安と、一人になる不安だろうか。一番の原因を、忘れてしまった。

 

大学に入ってからは、授業をサボることが少しあるし、不登校期間が年に一度と頻度が増した。

完全に甘え、だという自覚はある。ただ、大学にいるとどうも仮面を使い分けているようで、一定の限界点を越すと数日充電期間を設けなくてはならなくなった。大学2年の時は多くのものに四肢を取られ大学に通学するのがかなりきつくなってしまった、なんてこともあった。

今もそう。大学にいるのが、きつい。

仮面を増やしてしまった私のせいかもしれないけれど、言葉に出来ないもやもやとした気持ちが渦巻く。

全部捨てたい

 

惑い迷う年を経て

「答え」

 いつからか、世間の目、周りの目を気にするようになっていた。喜ばれること必要されることにばかりに気を取られ、ふと自分のことを主眼に置くこと、置き方を忘れていた。誰かに嫌われることばかりおそれていた。

 

 くっだらね。

 

 バカバカしい。ヒトサマの目を気にして生きるのなんて、そんなカスみたいなことしてどーするの。自分の人生、私のものなのに、なんでヒトのもののように扱ってたんだろうか。自分勝手でもいいじゃないか、少しくらい。私の、道だから、ちょっとくらい馬鹿になってもいいじゃないか。なんだよ、嫌われたっていいじゃん。世界70億人もいるじゃん、その1人じゃん、少数じゃん。あっは

 

あっはっは。

 

とか考えてたら、目が冷めてきた。恋愛のことも、進路のことも、人間関係も、全部、おいておく、引いて考えられるようになった、気がする。まだ、強い意志を持って言える段階ではないけれど。

 

 嗚呼、良い帰省だわ。

ハッピーに終わりたかった

体裁ばかり気にするようになった、1年(というか下半期)だった。

 

嫌われるのを恐れている、踏み出し方がわからない、そもそも自分自身がわからないと感じるようなった。今私はどこにいるのか、なにがしたいのか、どこに向かっているのか。そんなことを常時考えるようになった。私は何者なのだろうか。まるで、私の生きる道には絶対的な正解が有りそれを探しているかのような、そんな毎日だった。

頭でっかちに考えすぎていた、と今となって思う。今更気がついてしまった。遅かった。引き際に綺麗に引けなかった。去り際なのになぜかしがみついてしまった。嫌われるのを恐れて、たじろいた私がすべてワルイ、ほら、また余計に考えている。

正直、私は今何がしたいのかわからない。すべきことがあるはずなのに、どうしてだろう、何をすべきかがわからない。

 

私は何者なのだろうか。ダレか教えて。

夜景を価格計算するなんてバカバカしい

「百万ドルの夜景」と聞いて、「百万ドル」って電気価格かしら、と思ってしまう。

 

そんなことはどうでもいいのですが。函館や長崎、というように夜景スポットってたくさんありますよね?我が地元山梨も負けてませんよ。さすがに有名ドコロと比較してしまうと目劣りしてしまいますが。

私のおすすめは、中央本線勝沼ぶどう郷駅から甲府駅に向かう道中の車窓から見える景色です。夜、大変美しいです。思い出に浸ってしまう、ある種出身者にしかないフィルターがかかっているのは十二分にわかっていますが。

都会の、でかい建物の放つ光とは違い、明かり一つ一つに家族の思い出が詰まっている、人間味があるのではないかと思います。ライト一つに長い長い物語が込められているでしょう。

 

山梨にお越しになる際は、ぜひ、夜におこしくださいまし。

 

声があるからには

最近、毎日外にでるようにしています。出るようになってしまった、が正しいのかもしれません。こうなってしまった一番の理由は、忙しい彼氏にかまってもらえてない鬱憤を晴らす、寂しさを紛らわしたい、というメンヘラかまってちゃんみたいなものです。それが悩みの9割を占めています。家にいると、そればかり考えるようなってしまったから、一秒でも忘れたい、という自分らしくない(とかんがえるようにしている)ことになってしまう

 

はてさて残りの1割は何でしょう。

部屋が汚いから?勉強したくないから?

 

となったときに、ふと思うのは誰かとしゃべりたいからではないかな、と

(かまってちゃんだ!!!!)

彼氏と〜とか関係なく、コンビニの店員さんでも駅員さんでも道を聞いてくる外国人でも、誰でもいいから、誰かに対して自分の声を出したくなるから、ではないかと考えています。あくまでも仮説なんですけど。

中高で演劇に力を注いでいたから、無意識に声を発するという行為自体を重んじるようになりました、たぶん。

今日も、お寺のかたやお団子屋のおばさんやファミマのおっさんや本屋のおばちゃんと「しゃべったな」

満足、まんぞく、マンゾク

 

左様なら、ば

今週の日曜日に美容室に行きました。

上京してから2年半、ずっと通い続けている美容室があり、1ヶ月半から2ヶ月に一度通っています。髪の量が多い・太い・広がりやすいといういいことなし、加えてショートヘアにしたがりということで美容室代がかかるわかかるわ。

 

仲の良いスタイリストさんが、今月をもってやめるということなので、年の瀬の切り納めとお別れを言うため、という大きな理由もあって、行きました。本田翼にそっくりの、女性。かわいい。ようやく打ち解けてきたところでお別れです。

店長との不仲なのか、もし違う店に移るのならばそこに通いたい、と考えていましたが、そういう理由でやめるということではなかったようです。職業病なのでしょうか、腰を痛めてしまいしばらく治療するために休業するとのことでした。

 

悲しいけれど、「左様ならば」仕方がありません。受け入れるしかありません。

 

来月からどうしよう。就活近いんだよなあ。